2015
以前からホームページにブログを書いてはいましたが、一方通行だったのもあり、フェイスブックをやるようになって炎上とかそういうのがあると知るようになった。
何か問題があると、そこに十人十色な意見があるのは当然。
何をどう思うのもその人の自由だし、意見を表明したり表現するのも自由。
それを自分のものとして自分の場で発表するのがいいのではないかと思う。
インターネットがある前も様々な意見があったけど、発表するのは特定の人が特定のやり方で
発表することさえ特別な手続きや方法が必要だったと思う。
例えばそれはプロの範囲だった。
それがいつの間にかインターネットをするすべての人達のものになった。
それはとても面白い事だと思う。
でも、同時に考えなければいけない問題は増えたと思う。
圧力。
炎上というのは結果として圧力になる。
表現する人にとってそれは大問題だ。
表現することを仕事にしている人は、社会に何をもたらしているかというとそれは多様性だ。
インターネットによって簡単に相手に圧力をかけることが可能になった。
それによって前ほど自由な表現が狭められてしまったとしたら、それは社会の損失だ。
まわりまわって窮屈な感じを招いてしまうのは自分自身にかえってくる。
これについてこう思う。
という意見は自分の場で発表するのがいいと思うのは、炎上を避けるためだ。
炎上が面白いことのような風潮があるけれど、それに乗ってしまうときっといつの間にかまわりの世界が窮屈に、自分自身も窮屈になってしまうんじゃないだろうか?
胸が痛む事件や問題も多い中で風穴をあけるのは、普段の自分のものの見方や考え方なのだと思う。
そしてその風穴は、多様性という恩恵に通じている。
その風穴を世のマイナスの風潮によって塞いではならないと思う。
2015
「韃靼の馬」
読み始めて、とても面白い。
はい。単純に題名と馬の写真に惹かれて買いました。
でもね、読み始めて驚いたのは去年の秋に訪れた岡山の牛窓でたまたま出会ったお祭り、
朝鮮通信使の行列。
昔朝鮮通信使と言って朝鮮から役人やたくさんの人が船に乗ってきて、この辺りに上陸して、賑やかで華やかな行列でもって都まで延々と旅を続けた。
歴史で習ったかどうか、さっぱり忘れてましたが何だか興味を覚えました。
牛窓は日本のエーゲ海と言われ、なかなか瀬戸内の風光明媚な所で知られていますが、このお祭りは知らなかったし、
牛窓の役所の人と小学生達が朝鮮通信使の役人の格好をしたり、華やかな踊りの披露や音楽の披露があり、朝鮮学校の学生の参加や、少数ですが韓国からの人達もいるようでした。
牛窓の近所の人がちらほら行列を見に来てるくらいで、行列は華やかでしたが、お祭りとしては大変賑わってるという感じでもなく、
なんだかもったいない感じ。
きっと朝鮮通信使はとてもとても華やかで、また迎える方も、朝鮮の方もそりゃあ大変な準備と苦労と、いろんな話があるだろうに、
考えてみたらすごいこと。
参覲交代でもすごい苦労があったとはよく地方でも聞きますけれど、きっとその比ではないでしょう。
なのにそんな話がどの地域に行っても聞こえてこない。
なんだか寂しいです。
その後の歴史でのいろいろな事が作用しているとはいえ、
昔あったこと、知りたいな。とその行列を見てうっすら思っていたら、
巡り合ったお話。
「韃靼の馬」
歴史小説。
朝鮮通信使の事が事細かく書いてあるではないですか!
まだ上下あるうちの上の真ん中ですが、面白いです。
しかも題名の通り、馬の話もあってワクワクします。
去年秋に仕事の話をいただいた中に、歴史物語の話があり、その内容がやはり馬絡みでした。
歴史というのは諸説ありますよね。
当然ですが、見る角度や視点、思想によって同じ事実でも幾通りも話があります。
私は別に人に話はしませんが、その中からやはり自分の視点によって、こうじゃなかっただろうか?という歴史のストーリーがあります。
これは常に更新可能です。
最近は手塚治虫の火の鳥の第1巻にあるような話に興味を持ち、そうなるとなぜかそんな話を話す人や本との出会いが続きます。
まあ馬はもともと日本にいなくて大陸から渡ってきたのですから、この渡ってきた辺りになんだか面白い話が幾つもあるのですね。
たまたまでしょうが、結構仕事で呼ばれた場所が馬にゆかりのある場所がとても多いです。
馬というのはやはり歴史をみると戦に欠かせない動物。
胸が痛い話ですがそうなりますね。
人と関わり、幸せになった馬もいればとても辛い目にあった馬は数え切れないでしょうね。
2015
ハープとアルパ。
本日リハーサル。
ハープはみなさんご存知の美しいまろやかな調べ。
アルパは南米のハープより小柄なしっかりした音色の弦の響き。
どことなく東洋的な音もする。
ハープとアルパが重なるとすごく豪華な響きの中、私は馬頭琴で朗々と弾いてしまいます。
シルクロードとかlet it go とか例えばモンゴル民謡の白鳥からのサンサーンスの白鳥とか。
あれもこれも・・・
なかなか面白く、美しく、楽しく、面白い。笑。欲張り。
もちろんそれぞれのソロや、それぞれのデュオも聴き比べて楽しめます。
なかなかすぐに実現する組み合わせでもないので、ぜひこの機会にいらしてください。
二月二日
夜7時より
銀座十字屋ホール
ワンドリンク付き
4200円
あー今からとても楽しみです。
ハープは9月にご一緒した中村愛さん
アルパは池山由香さん
二人とも若く美しく朗らかでリハーサルでも笑いがたえません。
そしてお二人にはそれぞれ私のオリジナル曲の伴奏もしてくださり、また違う雰囲気で、わーわーと一人で興奮しています。
2015
5月の君津文化ホールでの公演に向けて一歩ずつ。
スーホの白い馬
おそらく幼稚園の時に読んでいて、小学校二年生の時に授業して、18歳ではじめて馬頭琴に巡り合ってからこの方ずっと耳にしてきた物語。
私にとっては悲しい話でしかなかった。
それは残念ながら。
といった方が良かったのだろう。
だけど最近違うのです。
もういない。
そばにいない。
失ってしまったと思っていた関係性が、別の形に生まれ変わり永遠になる。
スーホの白い馬は実は大好きな白馬を失ってしまった悲しいだけの話ではなく、ずっと一緒にいようと約束した白馬が死んでしまって、楽器という姿に生まれ変わりスーホといつでもずっと一緒いる物語なのです。
さて人形浄瑠璃。
スーホの白い馬
この物語を馬頭琴の奏でる音楽と人形浄瑠璃のお芝居。
正確には八王子車人形とのお芝居でお届けします。
私は実は最近まで生で見たことがありませんでした。
いえ、一度見たことがありました。7年前くらいに。
その時はあーこれが人形浄瑠璃というものなのか。
という最初の興味は時半ばくらいで満足し、なんとなくもうわかったような気になり、それっきりでした。
なので去年縁あって人形浄瑠璃、それも八王子車人形という名前の、ん?車?
つづく
2015
面白いなと思うのは、八王子車人形の由来です。
先日デザイナーの小林栄子先生といろいろ話していて、デザイナーとは言っても世界各国で日本の伝統を新しいものに魅せる、総合芸術の舞台を手がけているのですが、沢山の出演者やスタッフが必要で、中々予算が無いと呼ばれても難しい場合があるという話でした。
これはよくわかる話で、私も作品を作る時に、これを今後やる為に、どこにどう呼ばれても行けるように、最小限の形は取れるかどうか、そこも考えます。
そこにより着眼するようになったのもある意味古柳さんの影響もあるかもしれません。
八王子車人形の五代目西川古柳さんとご一緒するようになって、本当に沢山の事を学ばさせていただいています。
初代がなぜ車人形というのを作ったか。
それは人形浄瑠璃は元々一つのお人形さんを三人で遣う。 それをなんとか一人で遣えないか。 そこからはじまっている。
そうして辿り着いたのが、小さな箱に車輪をつけて腰掛け、自分のそれぞれの足でお人形さんの足を親指の股の所で挟み、遣うやり方です。
結果としてお人形さんの足が舞台の床に着くので、人形浄瑠璃のように宙に浮かぶ事がなく、人間の俳優とお人形さんと同じ地の上で芝居が可能であり、車にまたがり足でこぐことで、動きがはやく、立ち回りも舞も自由に早く動ける。
これしか素材が無い、使えない、という中で工夫する事で思いもかけない面白いことがおこる事がある。 そんな話でした。