馬頭琴奏者 / 美炎 miho 公式サイト
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 喰うか喰われてしまうか- 2014/09/18 -

Category : BLOG

背筋がぞくっとした。 二回くらい。

一度目は車人形の古柳さんが舞台に出て来た時。

稽古や本番や撮影の本番含めて何度か芝居を同じ舞台の上で見ているにもかかわらず。

一緒に出てると見る側じゃないというのはこういうことか。

稽古と本番が違うのは分かるが、今日はお客で堪能できて良かった。

人形に乗り移るとか人形と一心同体とかいろいろ言い方がありますが、途中から古柳さんが人形の背後霊?と思ったり、古柳さんを見たり、人形だけを見たり、しまいにはどっちみてもいいか。どっちも一つだから。と思う。
楽器をあんな風に使えるだろうか? あんな風に一体になれるだろうか?

古柳さんの気迫が人形に移って、古柳さんが舞っているのだけど、舞っているのは人形。

ダンサーが舞うことよりも、楽器を使う自分と重なり、そこまでの存在として楽器をみていない、寄り添っていないと思えた。いや。逆に言ったらまだまだ楽器と重なり合う事が出来るんじゃないかと思った。

耳なし芳一の演目ではいつもお世話になっている筑前琵琶の室井三紀さんと女流義太夫の方々。また迫力があって途中怖くてぞくっとした。笑

そういえば子どもの頃にこの話し聞いて本当に怖かった。耳を押さえて聞いた。

夢枕獏の陰陽師の話しにもあるが、霊は本当にうまい楽師がお好きらしい。でもだからといって、それを楽しんで聞かせてもらった後で喰わなくてもいいだろうと思ってしまうが。

喰われてしまうということでは、舞台にのまれる。という言葉がある。あれが、のまれる。という言葉を使うのはなんかこの辺と似ていると思えた。

のまれる。というのは、舞台の上に立つと分かるがその舞台そのものが持つ気迫だったりお客さんが持つ気迫だったり当たり前だがいちいち毎回違う。
なんか不思議なのはお客さんにも技量みたいのがあって、何なのこの否応なく気迫が満ちてる感じは、という時がある。

そんな時自分がへっぴり腰だとのまれる。霊の方でもそんなのには用がないんだろうな。魑魅魍魎とした何かであってもそんなものものともしない、のまれないものがいいらしい。耳なし芳一や、陰陽師の話しは案外舞台に立つものは日常として経験しているのかもしれない。
実は喰われているか。喰っているのか?!

化けて出る話しでは、先日の着物ドレスの小林先生とも狸や狐に化かされる話しになった。

山形で村の家に遊びに行くと、普通に種や狐に化かされた話しが出る。
そういう話しがあったんだって。ではなく、この前もね、化かされたんだよ!という日常の話しなのだ。そういう感覚とそういう日常を生きていることと。まったく同じ場所で生きていてもそこに気づかないことってあるんだろうな。

子どもの時ってすごく豊かな世界に生きていたと思う。その世界を取り戻す方法はいくらでもある。物語はそれを可能にしてくれる。

見終わって挨拶に行くと、古柳さん。 美炎さん、またその顔はなんか企んでるな?と目ざとく言われた。はい。そうですよ。笑

それにしてもカーテンコールのフラメンコはなんですか?古柳さんフラメンコうますぎ。なんでフラメンコ踊れるの?お人形さんが踊ってるの?

写真は差し入れに持ってった可愛い子。

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 おじいちゃまおばあちゃま- 2014/09/17 -

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敬老の日のお祝いの演奏で老人ホームに行って、やっぱり亡くなった自分の祖父母を思い出す。

おじいちゃま、おばあちゃまとよんでいた。

それは祖父がそう呼ぶように言っていたのだが。そう呼ぶものと思っていたので、小学校の作文を皆の前で読んだ時に、おじいちゃまが、と言って皆にすごく笑われて驚いた。

恥ずかしかったので、呼び慣れなくて変な気もしたが、おじいちゃんと呼ぶと祖父は返事をしてくれず、おじいちゃまでしょ。と言われた。

そこで家と外で使い分けるのが一苦労ではあったけど、このおじいちゃまはとても変わった人だった気がする。

そもそもなんでおじいちゃまと呼ばされたのか、最近聞いた話では戦前は家にお手伝いさんが溢れているような家だったらしい。

写真を撮る時はとてもかしこまってポーズをとるし、細かい作業が得意で小さな小さな物を作る。このおじいちゃまは戦前は銀行員だったが、戦後は幼稚園を祖母と二人で作った。粘土細工でいろんな物をあっという間に上手に作り、子供達を喜ばせていた。

マジックやお話も得意で子供を虜にしていたなあ。

お洒落の仕方や仕草が何処と無く女性らしい感じもしたし、運動系はまるでだめだったから、体力もなく、戦中は馬の世話係でした。

それなのにまだ写真が白黒で、羽田空港しかなくて、世の人が海外旅行なんて考えもしない頃に、一人で世界一周旅行に行った。

そんな行動的な感じは微塵もないのに不思議な事だ。

おじいちゃま、何が1番良かった?

と聞くと、パリのカフェで朝食べたね、クロワッサンがすっごく美味しかったの。あれはもう一度食べたいねぇ。

と、実に嬉しそうな顔をした。

冒険談が聞けるかと思いきや、その辺がおじいちゃまらしい。

よく一緒に近所の田んぼへ散歩に行った。坂を下った所に田んぼがあり、そこは家族皆でカエルの道と名付けていた。いつもその時期になると車で通っても必ずそこで車をとめて、窓をあけて皆でカエルの合唱を聞くのだ。

道みち、野の草花を摘んで、おじいちゃまは家に帰ると丁寧に丁寧に料理してアザミの胡麻和えだのタンポポの何かだのいろいろ味見させてくれた。

そういえば、よくおじいちゃまは自分の歌をテープに録音していた。幼い私も一緒になって歌ったものがいっぱいある。おじいちゃまの部屋をふと覗くと、たいてい歌を歌っているか、物書きをしているか、子供に注文を受けた粘土細工をしているか、ドリフを見ているか。笑。

結構私の周りには、子どもの頃ドリフターズを見ると頭が馬鹿になると、親から言われていて、コッソリ見た経験のある友人が多いのだか、私もそう。

2階にコッソリ行っておじいちゃまの狭い部屋にはいりこみ、おじいちゃまのタッパーを開けて一緒に歌舞伎揚げを食べながらドリフを見るのが楽しみだったな〜。

写真はだいぶ昔の。写真がとりあえず見つからなかったので集合写真ですが、おじいちゃまは左で腰掛けて手を棒にかけてる人。1番右がおばあちゃま。

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 空気をはらんだ間- 2014/09/16 -

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麻布という通いなれない場所へ。
昔の着物をドレスにする小林栄子先生の工房へ。

日本の生地をリメイクした服は良く目にはするけれども、ピンとくるものがなく、日本の生地や着物柄など素敵だなと、思うものの着物は馬頭琴は脚を開くので着れないし、リメイクの服は似合いそうなのがないなと思っていた所に出会い、工房まで押しかけたわけです。

なぜ昔の生地を使うのですか?という問いに、昔は手で織っていたから、生地が空気をはらんでいると。
これが合うんじゃないかというスカートは、それぞれ明治大正昭和の着物地のパッチワーク。その生地はそれぞれオーダーなのでこの世に一つしかないもの。

はい。

言葉であらわしたら、纏うという感覚です。

というと、そうなのよ。それがあるから昔の生地を使うの。

衣装やアクセサリーは本来力を持つものなんだと、私も以前宮崎の綾町にいる着物を織る秋山眞和先生の着物をみて思った。

いろいろな話しをしているついでに五感を研ぎ澄ます。という話しの中で、高校時代に山形の山の中で生活していた時に、私はマタギになりたかったのか、動物になりたかったのか、もしかしたら天狗になりたかったのか、笑

とにかく五感を研ぎ澄ます修行の一つとして朝3時とかの山が真っ黒くてなに一つ見えないさなか蜘蛛の巣にひっかかりながら一人で登ったりしていた頃、闇でも濃淡がわかるのが普通だが、ある日それこそ何もわからなくて川に落ちるんじゃないかというと時に、それでも肌が馴染んでくるとなんとか山の入口を見つけて登る。

だんだん時間がたつにつれ、濃淡が変わっていって山の上にいく頃には霧と一緒に光がわーっと山の斜面を上がってくる。

その瞬間、紅葉していた木々が本当に鮮やかに燃え出して、目の前で何がおこっているのか一瞬わからないくらい美しかった。

日本の物作りは毎日違う毎日奇跡のように美しい瞬間を捉えようとしているのだろうな。

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 マザー牧場の空の下で- 2014/09/15 -

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マザー牧場久しぶりでした。
こんなに山の上で海まで見えて素敵なところだったんだなーと改めて。

ソーセージビール祭りで野外にステージが組んであり、ギターの成川正憲さんと初デュオでコンサートでした。

この眺めと秋の空と爽やかな風。

ギターとのアンサンブルがこの雰囲気にピッタリ。

一曲目はモンゴル民謡をソロで弾いたものの、後はオリジナルで。

呼んで下さったマザー牧場の方々が、15年程前にモンゴルフェアをして馬頭琴を呼んだ時は全部民謡だったから、こんなにいろいろな曲が馬頭琴でもできるんですね!と喜んでいただき、まさにそこを狙って弾いてたりもするのでとても嬉しかったです。

後からマネージャーがインスタントラブという新曲を弾いた時に、普通に座って聞いていたカップルがふと手を繋いでいたよ。と教えてくれて、なんだかそういうのっていいな〜とにんまりしてしまいました。

ふと心に作用する。その瞬間はいつうまれるんだろう?
風がふと吹いた時、あっ。と何かを感じるのと似ている。
そういう瞬間をたくさん感じられる時間を提供すること。

でもつい最近思いました。
この仕事をするものは沢山の沢山の存在が心を寄せてくれるから生きていけるのであって、決してその逆じゃない。

沢山の存在からの愛みたいなものがあるから成立できるのであって、どれだけの愛が必要で私達はこれを選んだのだろうか。と考えた。

ともあれ
牧場からの眺めも風も最高で

ただ、終始流れてくるソーセージの香りが・・笑

とりあえず昼時はこれまた濃厚で新鮮なマザー牧場のソフトクリームでお腹を落ち着かせておいて、二回の演奏の後でとても眺めのいいレストランでいろいろご馳走になりました。

ギターの成川さんこと、ナリさんが、ドリンク何になさいますか?と聞かれて牛乳!と注文。
サイズは小さいボトルとなんとジョッキ。

わーこの絶景で、ジョッキで牛乳いっちゃう?でももう若くないからやめとこう・・

ジョッキで牛乳・・

さすがマザー牧場です!

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 再びの山奥へ- 2014/09/13 -

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琵琶のみきさんと近々のコンサートの打ち合わせをしながら、いつの間にか次の新しい構想へ。

歩き巫女というのがいたらしく、彼女らが話を語り歩いてまわり、遠野や青梅のような山間の盆地では、そこで話が溜まって残る事がある。

民俗学的な興味がそそられまくってしまう。

高校時代山形の山奥にいて日本の里山の民俗学に興味を持った。

マタギとか。そこにもマタギ文化が残っていたので、まさに実地の勉強だった。村にはいくらでも先生がいたから。笑。

宮本常一という人の本が好きで、その方のお弟子さんでもあった姫田忠義さんが民族文化映像研究所の所長さんで、その奥さんとは山形の頃から文通をしていて、大学で東京に来てからは毎週新宿御苑の研究所にここの作品を見に通っていた。

山形の自然と暮らしにすっかり魅了されていた私は、東京に来てここの作品を見ることで、何とか気持ちをなだめていたような気もする。

山奥に暮らしたいと思っていたが、どこかで私は山奥に篭ってはいけないんだろうな。と漠然と思っていた。でもその代わりに何をすればいいのか分からなくてだいぶ悩んでたなー。

そういう暮らしに憧れる気持ちをなだめつついつの間にかこの世界に入って最近やっとまた、再び私が慕った世界に音楽を通して出会える感覚がある。

新しい構想が実って東北に再び繋がりますように。

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