2015
出会ってしまいました。
青い馬の少年
これ!私の気持ちとぴったりだな。
という物語。
で、前日まで迷ったあげく、子供のためのクリスマスコンサートで、初演しました。
友人の家の本棚にあった。
手にとって読むにつれ、ここには、この曲、ここはこの曲と全部浮かんできた。
馬頭琴初めての人にしてみたら、スーホも弾かないし、モンゴル民謡も弾かないし、
まあそういう時もあるにはあるんですが、モンゴルの話も楽器の説明もせずに、今日はクリスマスなのでいつもとは違うコンサートにします。
皆様に素敵な物語をプレゼントしたいと思います。
とはじめて、朗読をしながらドラムとピアノと馬頭琴でオリジナル曲を挟んでいく。
お話の舞台もなぜかネイティヴアメリカンのお話だし、オリジナル曲もネイティヴアメリカンの物語に則して作った曲。
たまに私はやらかします。
モンゴルの民族楽器馬頭琴。で、なんで?っていう世界を。。
終演後、今のお話が入ったCDはありますか?というご質問や、お話と曲がぴったりでしたという感想をいただき、まずは一安心。
次はどこでできるかな?^ ^
三人の子供たちを連れたお母さんが、去年もクリスマスコンサート聞いてすごく良くてまた楽しみに来ました!
2015
旅路をひたすら急ぐ人と、寄り道が大好きな人。
私はどちらでも付いて行きますよ。という三人三様で岐阜へ。
馬頭琴、ピアノ、ドラムというトリオで可児市の文化創造センターで音と明かりのうるおいコンサートでした。
もちろん寄り道が大好きな人は、私です。
数年前にこの三人で山形へ行った時のこと、帰り道、私が地図をみてナビしました。
地図が大好き。
ナビとは相性の悪い私。
地図だと目的地があれば、そこへ向かうルートは限りなく選び放題。
そして山の地形や等高線もなるべく詳しく載ってるやつなら、どんな峠でどんな谷間か見当がつく。
すると、ここ絶対面白いでしょ!というところへ、渋滞があるとなおさら、言い訳がつくから堂々と誰も通らない峠へご案内できるわけです。
運転手には嫌がられますが。
山は紅葉していて誰も来ない山里を抜けて、尾根づたいの狭い峠。尾根なので見晴らしも抜群。
しかしよくここに道路作ったなー!!
と感心しながら、見たことのない景色を楽しむ。
ついでに小さな湖へ寄る。
温泉へ寄るのも忘れない。
まあそんな具合でした。
岐阜へは仕事の行きなのと、夜は主催者と待ち合わせて夜の宴会がありましたので、そう寄り道はできません。
新東名のサービスエリアで遊ぶくらいでしょうか。
浜松にはなぜか馬頭琴が展示してあります。
ピアノのコーナーが充実しているのは有名ですが、ローランドの電子ドラムのいいやつも置いてあったりして、私達ここでコンサートできるじゃん。。。
手ぶらで。。
たしか新東名の浜松サービスエリアです。
ちなみに下の新東名浜松サービスエリアは石松餃子の水餃子がおすすめです*\(^o^)/*
この暮れは父がいる岡山へまた車で遠乗りする予定なので、また寄っちゃうな〜。
渋滞してるとすぐ諦めて一時間以上サービスエリアで遊んじゃうので目的地は遠くなるばかりですが、意外とその間に渋滞が緩和されるので、渋滞にはまったら、車降りて休むのが得策です。
最近車での遠出が多いので色々コツをつかんできました。
でもやっぱり長いお休みは普段車運転しない方がたくさん運転するせいか、どうしても事故渋滞、避けられませんね。。
割り込みは仕方ないんです。
どうしても車線変更する必要がある場合は多々ありますから。
それなら、最初から割り込みを率先して入れるくらいの構えだと、事故も少しは減るんじゃないかな〜。。
なるべくイライラすることなく旅をしたいですね。
ほんのちょっとぶつかったり、傷がついても、車をピカピカにされる方が多い日本なので、事故処理が大変。
私はというと、動けばいい。くらいの感じなので、前に信号待ちしていた時に、後ろの大きなトラックが、ボンと、私の車にぶつかった。
おそらく少しだけかるーく凹んでるかな。とは思ったけど、渋滞してるし、脇に避けるところもないし、いろいろ処理が面倒なので、トラックの人は窓から、この先の向こうに移動しましょうと、手で合図してくれましたが、いいです。とそのまま私は行っちゃいました。
トラックの運転手さん。信じられない!
という感じでしたけど、いいんしゃないでしょうか。
ほんとにちょっとぶつかっただけだから。
学生の頃、ニュージーランドを旅した時、ポンコツな車がたくさん走ってて、なんかすごく嬉しくなったのです。
それにアスファルトの都会で、素足で歩いてる女性やサラリーマンがいて、えー!私はここに暮らしたら楽に生きれそうだ!と思いました。
話それましたが、
コンサートは、岐阜の可児市。
可児市の公共施設振興公社の方と、ガラスを製作するわくわく体験館の方と、私も生まれる前からよく知る?!美恵子さんと、迎えてくださり、小料理屋さんへ。
振興公社の方がホームページで私のこのブログより、アラスカ川下りの話やら歩いて旅した話やら読んでおられて、最初からすました顔ができずに、話に花が咲きました。笑
この方が、若い頃からハードロックが大好きでという話からドラマーと馬が合い、美恵子さんが、えー!私いつもご一緒してる時には役所の方だから真面目なんだろうな、とまじめなお付き合いしていたのに!!
と悔しがっていました。笑
可児市はどんな所かというのを、とても上手に熱心にアピールされて、わくわく体験館の前田さんが、私は美炎さんにあった途端に、可児市は何もないところなんですー。
って言ってしまったのに。。と言っていました。
可児市は、里芋がやたらに美味しいんだそうです!
それから、明智光秀の出身地とか。
美濃の国なので信長のお母様の出身地でもあるそうです。
戦国時代の話ならわんさかありそうなところです。
最近なぜか戦国時代に興味が湧いて、子供の頃はむしろ嫌いで全く興味が湧かなかったのに。。
場所や人とそういう出会いが頻繁になってきて、なんでやたらに戦国時代の繋がりが多いんだろうと思っていたら興味が湧いてきたわけです。
ちなみに美恵子さんのお母さんは秀吉に仕えた、蜂須賀という姓だそうです。
まあ戦国時代は日本中を巻き込んでいたから、日本中どこへ行ってもゆかりの地だらけですが。
浅井長政とこの長政と側室との子供の浅井喜八郎さんのその後の行くへを今ちょうど調べてみたりしています。
それにしても、戦国時代の女の人って本当に強い!
ってまた話がだいぶずれました。。
わくわく体験館の前田さんは、江戸時代よりはじまった可児市のガラスを再現し、それをこの体験館で体験してもらう取り組みをしていて、このコンサートではそのガラスを使ったランプが舞台を彩ります。
ガラス製作、ちょっとやってみたいと思いました。
焼き物もすきですがらガラスも好きで、地方へ行くと焼き物やガラスや織物や素敵なものがたくさんあるので、目の保養とばかり、時間があれば見て回ります。
このあたりは焼き物の名産でもあります。
舞台となった可児市の文化創造センターはまたずいぶんと素敵なホールでした。
写真撮り忘れ。。
全国でも有名なホールだそうです。
一部は可児市出身の声楽家西尾諭子さんの童謡の調べ。
透き通る声が素敵な方でした。
アンコールは一緒に喜納昌吉さんの花を演奏しました。
そうそう!可児市はバラ園が日本一だそうです!
次回はバラの季節に来たいですね。
2015
コタツなう。
自宅からラジオ出演のブログ記事の、今日のスタジオからの眺め。谷地に向かって話してます。
という写真がとても反響ありまして、どこそれ?どこに住んでるの?
なんなのあれ?みたいな反応。笑
谷地です。
としか言いようがないのですが、本当になんのへんてつもない日本の里山というか、里山から連想される綺麗なのどかな、よりも、なんかちょっと雑然とした感じの田舎なのです。
何も評価を下げる必要もないのですが、この辺を知る人ならみなさん同じ思いだと思います。
でも、なぜか我が家の家の周り限定なんですが、その空間はちょっと雰囲気が違う。
今朝布団の中でもごもごしていたら、遠くにいる友人からメールが来て、用事で近くを通りかかっているよー。
え?まじで?じゃあおいでよ!
ちょっと時間あるから、じゃあ寄るね。というので遊びに来てくれました。
この方達、世界中を旅してるのだけど、なにここ。アメリカの田舎みたい。
と気に入ってくれました。
それで私も改めて不思議だなと思ったのは、アラスカが大好きで、そのせいか
たまにふとした瞬間に、今のこの空気と匂いと風と光!アラスカみたい!って思う瞬間が一年に少しだけあるんですけど、それが割とこの家にいて、外に出た時に思う。
アラスカを旅した友人もうちに寄った時に同じことを言ったので、ちょっと面白いなと思います。
でもよく目をこらすと、落花生ぼっちとか、カラスとか、キジとか狸とか兎とか、かちかち山なやっぱり日本の田舎です^ ^
でもフクロウもたまに夜いるし、星がきれいだしいい所です。
私は割とその日の気分で、あ、今日は何しよう。とか、あそこ行こうとか無計画なので、突然な行動が多いせいか、突然連絡くれて突然遊びに来てくれるととても嬉しかったりします。
ちょうど良かったので天板を失った小さなこたつを出しました。
それはいいけど皆さん帰った後、こたつの虫になってます。
ああ、こたつはひとをダメにする。。
つまりさっきまで布団の中から出れなくて、今行くよ〜という連絡を機に、ものすごい勢いで支度したのに、みんなが帰ってから、こたつの中で動けずに、結局布団からこたつに移動しただけじゃん。。
こたつにみかん。永遠に続いて欲しい組み合わせ。。
でも天板をどうにかしなければ、肘もつけないな。
ホームセンターに見つけに行こうかな。
落ち葉掻き、しようしようと思ってたら、先日の強風でみんな谷地の方に飛んでいったので、綺麗になくなりました。
あっぱれ。
あと一つ思うのは、家の周りに花を植えたいけど、植物のお世話が下手くそすぎて、勝手に生えたり勝手に毎年育つものしか家の庭にいない。
庭いじりが好きな方が、たまにうちの庭の世話してくれたらありがたいなーと、こたつの中から夢想するのでした。。。
チューリップの球根くらいは自分で植えようかな。
これでよく農大に行ったわ。
途中で抜けたのも当然でした。。
今週はたてつずけにコンサートです。
「23日祝日は岐阜の可児市、文化創造センターで14時から。
音と明かりのうるおいコンサート♪」
「25日は千葉県八千代市勝田台センターで11時から子供向けコンサート♪」
「27日日曜日は新宿、四ッ谷メビウスというライブハウスで6:30からライブです♪
オリジナル曲、馬頭琴楽曲、お初な千◯桜とか、◯◯大陸とか馬頭琴でやりますよー!
宮地楽器渋谷、神田の講師メンバーですが、皆さん百戦錬磨のミュージシャンなのでとてもかっこいい仕上がりになってますのでぜひ♪」
「一月は後半に九州の中津と別府で何公演かあります♪
八王子車人形五代の西川古柳さんとのコラボレーションステージ、スーホの白い馬です。」
ちなみに九州最終日の別府のはなやももホール(チラシ写真下記あり)、明治の素敵な屋敷のようです。人形浄瑠璃にはぴったりの空間のようで、楽しみですね。
古柳さん、11月にニューヨークで大活躍な新聞記事があったので、最後の方までスクロールして写真をご覧ください^ ^
2016年はぜひ東京で古柳さんとのコラボレーションステージを実現させようと思います!
いい場所ないかな^ ^
あと先日とてもいい物語に出会ったので、この物語を絡めたステージも2016年はやってみようと思っています。お楽しみに!
2015
顔。
確かに動物の顔に似てる人っている。
よく東北の田舎にいくと、このおじさんはどうしてこんなに日本猿とそっくりないいお顔してるのだろうと、まじまじと思うこととかあります。
猿に似てると言うとちょっと小馬鹿にしたようにも聞こえますが、私の想いは、日本猿っていい顔してるなと思う。特に東北の日本猿。
山が美しいと猿の顔も美しくなるのかな。
雪が厳しいからいろんなものが淘汰されて美しくなるのかな。
山の厳しさも美しさも知ってる顔。
それと同じ顔してる人がいる。
でなんでそんな話になったかというと、先日ライブで画家の方に、世の中猫顔とか犬顔とかいるけれど、美炎さんはそのどれでもないんだよね。やっぱり馬顔なんだよね。
とまじまじと言われ、馬!という言葉に単純に反応して嬉しい!!
となりましたが、いやまてよ。
前に仕事でマザー牧場行った時に、馬面コンテストやっていて、顔の長さを測って、ある長さ以上だと人参がもらえるというのを横で見ながら、とてもやってみたかったけど、見事、馬面認定されました!
と声高く言われても、恥ずかしいなと思ってやめました。
そういえば学生の頃先生で馬面と言われてる先生を思い出したりとか。。
そんなことどうでもいいのですが、どこがどうして馬の顔に似てるのか、とても聞いてみたかったけど、顔の長さが。と言われるかな、と怖気付いてやめました。笑
でもやっぱり、馬ににてると言われて嬉しいのだから、相当馬が好きです。
先日久しぶりに会った人に、会うたびに若返ってると言われて、ちょっと嬉しくなった。
でもそれが本当だったら妖怪です。
妖怪っていうのもありだなー。
化粧するようになったのと、化粧が少しはうまくなったの。
そんなことで得意げになってたんですけど、化粧してない時に、え?化粧してないの?と言われたり、化粧してる時に、え?化粧してるの?とアベコベなことを言われるのがちょっと心外です。
人は自分が思うようには見てないということです。
今日も、つい先日に演奏の仕事でお世話になった方に別の場所で、仕事ではなくお会いして、しばらく私だと気付かれませんでした。
舞台降りると、さっきの人どこ行ったの?ってなるのは、まだまだな証拠です。。
12月に咲く花ってすごいな。
生ぬるい大風の日の家の外の空
桜月流の宗家、神谷美保子さんと、剣士が運営するみつるぎカフェで、同じ美炎という名前つながりの
みほみほの風というライブをしました。
美保子さんは美劔舞のパフォーマンスを以前桜月流の方の舞台に呼んでいただいて、馬頭琴の演奏で舞っていただいたのですが、それがとても素敵で格好よく、私もやってみたい。
と単純に習わせていただきました。
今思うとどうしても棚田の石舞台の上で舞ってみたかったのですね。
付け焼刃という言葉がありますが、自分でその言葉を思い出すあたりが。
でもあの風景で、あの光で、あの風で、あの衣装で、あの振り付けで、やっぱりやってよかったなと思います。
美保子さんのヤマト歌と竪琴と馬頭琴のデュオ。
最近本当にいろんな方とコラボレーションする機会をいただき、本当にいろんな勉強ができるなと思います。
あの会場のお客様の中に画家が四人もいたのは不思議なことでした。
絵といえば今年の棚田舞台の演奏の絵を描いてコンクールに出す方がいるのだそうです。
ちょっと思ったんですけど、美炎さんはやっぱり馬顔だね。とおっしゃった画家の方は抽象画をかかれる方です。
きっと普通の人が見えないものをみて捉えてるのだと思います。だからきっと馬頭琴を弾く私に馬がオーバーラップしたに違いありません。
馬頭琴を弾く美炎さん、馬が走ってるみたい!馬が浮かぶなあー。あれ?もしかして美炎さん馬?
って思ってもらえたのは本望です。
美炎さんの演奏、情景がすごく見えるねと良くお客様にいっていただくのですが、そういうこともあるかな。
自分に都合よく終わります。
自分のブログですから*\(^o^)/*
蛇足ですけど、テレビで朝ドラのアサのお義父さん役の方がアサの夫役の方のことをラクダ顔だと言ってたと母がはなしてました。
2015
今朝ツイッターで目にしたこの記事。
「音楽は敵を超える」
http://www.asahi.com/sp/articles/ASHD76DD5HD7ULZU00P.html
「今したことには謝れるのに100年前の過ちを謝るのがどうしてこんなに難しいのか。」
「多くの国が今過去との向き合い方に関して問題をかかえている。
自分たちがやっていることに誇りを持つということと
、自分だちが他より優れていると思い込むことは大きく違う。
本物の自信と誇りは他者との比較からは決して育ちません。」
「同じようにグローバリズムとユニバーサリズムとの間にも本質的に違いがあります。
ユニバーサリズムは互いの違いを認めるということ。」
「グローバリズムはみんな一緒を求めるということ。
人生を豊かにするのはユニバーサリズムなのです。」
「過去を受け止め克服してゆく。この継続なくして先に進むことはできません。」
「音楽は敵を超える」
このところが語られるのは後半です。その辺りはどうぞ上記のリンクを開けてお読みください。
自分自身のことに置き換えて考えるとどうだろうか?
と思う。
私は戦争を体験してないけども、日本に生まれ育ち、戦争を体験した人から多くのことを聞かせてもらい、感じてきたことはある。
私は伝記や自伝や人から過去の体験談を聞くのが子供の頃から好きだった。両親にもおじいちゃんおばあちゃんにも、よく昔の話を聞かせて。
と戦時中やそれ以前やその後のことをいろいろ聞いた。
自分が体験してないことをその人の体験を通して、体験することができるみたいで苦労話さえ楽しかった。
私の両親やおじいちゃんおばあちゃん、そのまた前のあったことのない繋がる人達。
その人達の通ってきた道は私と無縁ではない。
だから、100年前のことをあやまるということは、とても大事だと思っている。それが、例え何百年前だろうと。
彼らの道があったから、私の道がある。
きっと過去に関してはあやまるということ、そして感謝すること、それ以外の選択肢はないんじゃないだろうか。
過去のことに、それは例え社会の歴史ではなく、自分自身の歴史の中でもそれ以外の感情を抱いてるとすれば、それは向き合うチャンスなのではないかと思う。
その感情があるからこそ今の自分がある。
でもそのままでは10年後の自分も今と何も変わらない。
その感情に向き合うからこそ進んでいける。
その勇気を持つことはどうしたらできるのだろうか?
今まで出会った人の中で、その勇気を持つ人と持たない人。
勇気を持たない人は過去の体験を忘れられない人。
勇気を持つ人は過去のいいところ悪いところをよく理解し、今するべきことを知る人。
いいところ悪いところをよく理解する。
と、そこに執着していた欲求的な感情も否定的な感情も手放せるのだと思う。
そうしてクリアにしていかないと、今自分が何をするべきなのかなかなか見えてこない。
今自分がするべきことが、実は欲求的な感情や否定的な感情から引き起こされて、進んでいると思っていることが、実は過去の中に生きているのと変わらないことになってしまう。
それは悲劇なのではないだろうか。
繰り返されてしまう過ちはその悲劇からおこる。
勇気を持ちたいなと思う。
芸術といわれるものは、実は社会を変革するような大きな力を持っているのではなく、
でも、本当にささいな、コーヒを飲んでホッとする。
爽やかな風が吹いて気持ちよくなる。
ハッとするような刺激をうけて何かやりたくなるかもしれない。
そんなことで、あー、さっき怒ってたことがなんかバカらしくなったな。とか、そんな作用がある。
風穴
それは時として、時空も超えることが確かにある。
ささいな作用だけれどなくてはならないもの。
だから、スーホの白い馬の物語も、引き裂かれてしまい、悲しみにくれるスーホのところに音楽として舞い戻ってきた白馬がたくさんの人を喜ばせているのだと思う。