2015
モンゴル衣装の帽子はものすごく派手なのもあります。
自分だけはかぶるまいと思っていましたが、とうとうかぶってしまいました。
心配された、演奏中にずり落ちることはありませんでしたが、あまりの暑さに途中で取りました。
そんなコンサートは、ハープの中村愛さんとおとといは、福島いわきの病院にて。
この派手な帽子をかぶれる舞台は愛さんのしかない。と思っていました。
例え演奏中に帽子がずり落ちても、大丈夫なのは愛さんとの舞台。
本番前に控え室でお弁当をいただきながら、宇宙人話で話が弾みすぎて、慌てて着替えました。
特にタコ宇宙人説が一番ぐっときました。
帰りの車ではなぜだか、私の過去の旅の話で盛り上がり、愛さんが、それ今度コンサートのMCで話しますから、というので、それはやめて。お客様が引くから。
え?ってなったまま、では次の曲は、ってすごくやりづらいから。と頼んでおきました。笑
夢中でコンサートを終えて、手際よく片付けも終わったところで、あ!また2人で撮るの忘れた!
残念な2人です。
そして昨日はひかりのうまという、名前にとても惹かれるライブハウスで弾きました。
オーナーのマルタさんから、チベット旅行の話を聞いたりしてまったりしました。
さて9月はまずは札幌にて八王子車人形さんとスーホの白い馬です!
2015
http://mongol.blog.jp/2015/08/22/51848391http://mongol.blog.jp/2015/08/22/51848391
こちら↑クリックしていただくと、モンゴルスタンプの案内詳細が見れます。
3DCGデザイナーの中島菫さんが、デザインしたLINEスタンプは、モンゴルデザイン。
馬も沢山出てくるので、私もとても気に入ってます。
馬頭琴✖️人形浄瑠璃✖️映像「スーホの白い馬」の映像製作、そして私のCD「ファイブエレメンツジャーニー」のジャケットデザインを手がけた中島菫さんです。
モンゴル文化も反映されていますので、なかなか興味深いし、何しろいろんな動物、中でも馬が沢山出てくるのがいい!
そして何より可愛いのです。
モンゴルの事、きっと身近に感じられますよ。ぜひ見てください。
2015
子供の頃連れられて来たような気がする。くらいあまり記憶になく、ただいつも車でこの辺りを通り過ぎるので、あ、日比谷公園ってここだったのか。。
日比谷図書館主催の馬頭琴レクチャーコンサート。
担当の図書館のお姉さまが、モンゴル旅行へ数年前に行ってから、馬頭琴コンサートするのが夢だったそうです。
実現するにあたり、いろんな困難があったとか。
なので今日、とても嬉しいんです!
と。
企画までは、妄想と変わらない部分もあるので、頭の中ではいくらでもできます。
これを実際に形にするのに、
いろんな大変なことがあると、私も主催する事が度々あるので、よくわかりますし、いろんな所で呼ばれるにあたり、皆様のご尽力が手に取るようにわかる時があります。
私もそういったことを、また改めておもいだした次第でした。
演奏の途中で、ふとお姉さんの顔を見たら、ニコニコとお客様の方を見ていました。
帰りの車の中で、共演してくれたピアニストの竹井さんが、図書館の方がね、レクチャーをいろいろやる事があるから、お客さんの反応はよく知っているけど、聞き入るって、こういう感じなんだなぁと、今日は改めて感じました。そのお客さんの反応を見ているのが嬉しくてずっと見ていた。と言っていたよ。と教えてくれました。
馬の旅の話をしましたら、お姉さんが、私もモンゴルで馬に乗ったんですが、一緒にいった他の方々は、日本で乗馬経験があって、それでいざモンゴルへ!という形でバリバリに乗っていたんですけど、私は全く初めてで、ずっと引き馬されて、毎日乗ってました。
でもすごく楽しかったんです。
と、なんでしょう。聞いていてお姉さんがあまりに可愛くて、抱きしめたくなってしまいました。笑
モンゴル乗馬、日本の乗馬クラブと違い、大抵は手取り足取り教えてくれなくて、必死で乗るうちに、初心者でも競争したり、とりあえず一人で乗れるように大抵はなります。
それを、ずっと引き馬されていたとは!
モンゴルで!
でもすごく楽しかったんです。というのが、私にはキュンと来ました。。
別れ際にお姉さんが、「人形浄瑠璃とのコラボレーションのスーホの白い馬、もし東京でやる事があれば、その会場には、私がいるはずですから^ ^」
やらなきゃ。。
お姉さんにもう一度会えるかな。
2015
出す音にぐっと入っていく感じと、出る音の行方を見る感じ。
そんなことをたまに弾いていておもいます。
去年の山の棚田コンサートの報告を読んでいて、少なくとも一年に一度、初心に戻れる場、そして感謝が自然にわき、音にのることを思い出せる機会があることを想います。
今日はうまくいったなー!という満足度のある日と、うまくいった!という感覚よりも、穏やかにゆっくり心に何かがひろがる時と、気づきを得て、心する日と、悔しくて、絶対挽回しようと思う時と、本番は様々です。
たぶんうまくいったなー!とかいう時が続いたりすると、それはあまり良くない方向へ行ってたりする時です。
ただそんな時は近いうちにすぐ、鼻をへし折られる瞬間が待っていて、意外と早く気付けたりします。
少なくとも棚田の舞台で気づける事になっているので、私は恵まれていると思います。
今日の蔦屋書店での馬頭琴ライブは、たまたま本屋にいた方、わざわざ聞きに来てくれた方、様々でしたが、演奏前にとあるお客様が、用事で聞けないけれどもがんばってください。と、花を一輪わざわざ届けてくださいました。
そういえば、演奏前に花をいただいたのは初めてです。笑
その時に、ああ、こんな風に今日、偶然耳にすることになる方々にも、わざわざ来てくれる方々にも、花を一輪贈るようにさりげなく、でも確かに届けられたらいいなぁと思ったのでした。
誰かがふと、何かをする時、それは天からのメッセージだと感じることがあります。
きっと、私もふと何かをする時に、何かのメッセンジャーになってる時があると思います。
奏でる音がそうであるように、風のようにふと、ほほをなでることがあるように、そうでありたいと思います。
写真は、去年の山の棚田コンサート。
今年は10月18日。
このホームページのNEWSのところに去年のご報告のリンクが貼られていますので、主催のヒロクラフトさんがまとめてくれた、素敵な写真スライドや、皆様の感想もご覧ください。
そして今年の棚田でお会いしましょう♪
2015
また再びの山陽道へ。
ヒロシマのチャリティーコンサート出演に。
まずは岡山にいる父のところへ、やはりこの暑さでかなり体調は悪いのだけど、頭は相変わらずシャンとしているし、先日の車人形さんとのコラボレーションの作品上映では、私も父に見せたい想いもあったし、父もなんとか見に行けるように頑張る。
と言っていたものの、当日、本番には、父が結局来れなかったことも、もうこれっぽっちも残念ではなく、父も、自分が8月始めにある、大会の基調講演で頭がいっぱいで、そこにこぎつけるためには、体力温存するしかなく、仕事最優先となった時には、やはり、言うほど残念ではないのです。
この辺り、親子だなと思います。
仕事とはいえ、自分が本当にやりたいことしかやっていない親子。
とにかくそれが最優先なので、それ以外の事が頭から抜けてしまう。忘れてしまう。適当になってしまう。
で、冷たい人間だと思われがちですが、そんなことはないのですよ。笑
そういえば、車人形の古柳さんが、私のことを、なんと言ってたか忘れましたが、ぴったり言い当てたので、なんで分かるんですか!!と聞いたら、だって俺と似てるもん。
と言われました。
そして、仕事って言ってるけど、仕事じゃないんだよね。やりたくてやってる好きなことだからね。
確かに仕事と旅が一緒になるので、あえて旅だけに行こうとは思わなくなってる。
旅がしたいんじゃなくて、仕事がしたいわけです。仕事じゃないみたいだけど。だから、どんな遠くても、声をかけていただいたら、ひとっ飛びで行きます。
全国の皆さまよろしくお願いします。
で、父のいる牛窓のてれやカフェへ。
先日の車人形さんとのコラボレーションでは、この古民家で土間のてれやカフェ。
会場に着いてから、あ、クーラーないの忘れてました。。
って言ったら、皆に、確信犯だ!!と言われました。
オーナーのひろしさんが、お客さん本当に喜んでたよ。次の日も何人かお客さん来て、昨日よかったね!!と話して帰ったくらいだよ。と言ってくれて、皆で滝のような汗をかいた甲斐がありました。
特に車人形の古柳さんm(._.)m
オーナーの奥さんであるアメリカ人のテレサさんが作る美味しいケーキ!今回はローズチーズケーキ。
ひろしさんが、父の名言を語ってくれました。
「僕は今までの人生で悪いことしたことがない。
人から見て悪いことがあったかもしれないけど、少なくとも、自分では悪いことと思ってない」
前の日に父の相方の京子さんから、みほちゃんね、お父さんと話してたらね、
後悔したことが一度もないと言うのよ。そんな人いるのね。って言ってました。
父すごい。
岡山からヒロシマへは新幹線で行きました。結局。
24時間チャリティーコンサートと聞いていたので、夜中とかに平和公園で眠さと戦いながらの演奏か、炎天下に暑さと戦いながらの演奏か、どちらだろうと思っていたら、国際会議場の地下のフェニックスホールという巨大な立派な涼しい会場でした。
プログラムを開いたら、いきなりある本のチラシが。著者を見ると奥田貞子。
なんと高校時代の家庭科の先生の名前と本。
そうだ、奥田先生は広島出身で、原爆投下直後の広島を8日間知り合いを探してまわったのだ、と呑気にもその時に思い出したのでした。
亡くなって四年ほど。
自分の呑気さ具合にも、こんなところで再会した奥田先生にも、涙が溢れてしまい、「おまえは本当に変わってないな。」とお尻を叩かれている感じがしました。
そう。奥田先生には何度お尻を叩かれたか。
こわいけど、とても愛情深い先生で、原爆投下の日が近くなると、その時の話を朝礼で語ってくれました。
急に短な人がこの原爆に関わっていたと気づいた時に、私がこのチャリティーコンサートで、祈りを込めて演奏しようと思っていた気持ちがなんだか、適当なもののように思いました。
身近な人となると急に熱い想いがこみ上げたからです。
でも、関係ない遠い人であっても、身近な人と同じだと、感じることが大切なことだと奥田先生から教えてもらったような気がしました。
演奏前に平和のメッセージ一分間話してから演奏ということで、音楽を弾くのに、メッセージを言葉で言うのは難しいなと思っていましたが、奥田先生の話をすることができました。
この舞台にたてて本当に良かったです。